【覚醒体験】人の本質は、無極無窮の光である。

こんにちは、大場麻以です。

少し前の出来事ですが、これまででもっとも深かった覚醒体験を、経緯を忘れないうちにシェアします。

人の本質とは何か。

このような問いを立てたことがある人ならば、

空(くう)である。

源である。

神である。

真我である。

そういった「喩え」を聞いたことがあると思います。

その数ある喩えのうちの一つが「人の本質とは、光である」です。

私もこの真理を探究してきた過程のなかで、この本質のことは理解していましたし、クライアントさん達に教えてもいました。

さまざまな体験、感覚からも、これらの本質は「確かにその通りだ」と腑に落ちていたはずでした。

「知識としての理解」の限界

こうした本質や宇宙、目に見えない世界というのは「完全に理解した」とは決して言えないほど深遠であり、当然、既知よりも未知のほうが多いわけです。

だからこそ「悟り」や「覚醒」は、結果やゴールではなく、大小さまざまなプロセスでしかありません。

そのことは重々承知していたはずですが、やはり「全然わかってなかった」と思い知る瞬間がありました。

それが、自分の内側に巨大な光を目視した瞬間でした。

そのときは、ちょうど大きな手放し、浄化、統合が連続的に起こっていたタイミングでした。

古く重い周波数を、手放しても手放しても、次から次へと特大ネガティブ周波数が浮き彫りになる。

人にはそういう時期があるものですが、私も何度目かの「手放し祭」のような時期にありました。

もちろん手放すことによる効果はパワフルで、視座が上がり、可能性が広がり、心身に力が戻ってくる、そんな感覚を得られます。

とはいえ、妥協なく統合していると「また統合?!」「まだあるの?!」と、ちょっと嫌になってくるわけです。

私は心身ともに人並み以上にタフである自負がありますが、それでもかなり気疲れしてくる。まあそれも、手放すことに一々抵抗するからではあるんですが……。

ある日突然見出した「すべてを内包する光」

そんな日々を過ごしていたある日、夜眠っているあいだに夢を見ました。

その夢の内容が過去生の夢であり、ネガティブなものではなく、非常に愛と豊かさに満ちた記憶だったんですね。

目を覚ましたくないと思うほど、心地のよい夢でした。

とはいえ朝はくるわけで、渋々目を覚まして自分の身体に目を向けたとき……

目視したのが巨大な光だったわけです。

それは「眩しい!」という光ではありませんでした。

ギリギリ言語化するなら、「ブラックホールとホワイトホールが統合されている」かのような様子で、白でもあり黒でもあり、光でもあり闇でもある。

それはまるで小さな宇宙とその源であるかのようなエネルギー体。

自分の肉体を大きくはみ出て、核こそ自分の肉体の中心にあるものの、どこまでも広がるエネルギーフィールドを放ちながら、物凄い存在感で鎮していました。

「は?なんだこれ」

と思ったそれを見た瞬間、大量の情報が一瞬でダウンロードされた感覚とともに、

「ここにに在るのは、この光だけなんだ」

「すべてはこの光から創られているんだ」

と、唐突に理解しました。

なーんだ、全部この光だけだっただ。

そんな、散々外を探し回ったのに、家に帰ったら机の上にあったというような、「安堵」であり、「理解」でした。

探究の果てに在った「無極無窮の光」

悟った、覚醒した、というのは、大なり小なりのプロセスです。

なので、何か新しい確信を得られてもとりたててと騒ぐものではないと思っていますが、さすがにこれは「覚醒が一段深まったな」と感慨深く感じる出来事でした。

そもそも、本当の未知とはこの世に存在しないと考えています。

たとえば私個人の真理の探究過程でも、「ビジネスの本質はこれだ!」と気付いて興奮して言語化したら、ぜんぜん違う起業家がまったく同じことを言っていたり、

「魂の本質はこれだ!」と気付いて、世紀の大発見をしたかのような気持ちで言語化したら、もう数千年前に老子や荘子がとっくに言語化していたりしました。

実は多くの「未知だと思っていたこと」はとっくに既知で、既知の周波数にアクセスできていないときは、まるで答えがないかのように感じていただけだったわけです。

これは何を見出しても、n番煎じになってしまうなと気が付いた私は、とりあえずもういいやと真理の探究を終えることにしました。

そして、その直後の、この「本質の光」の目視だったわけです。

光が、光らしからぬ見た目であったこと。

白も黒も、光も闇も、すべてを内包しており、極性が存在しないこと。

それでいて混沌とせず、調和的であること。

目視の範囲を超えて果てしなく広大であること。

まさに、無極無窮の光。

これは知識として理解しているだけでは、捉えきれないものでした。

消費される成功ではなく、尽きることのない「幸福の源泉」から創る

この光を意識して過ごすと、まあ、今までの試行錯誤はなんだったのかと思えるほどに、すべてが簡単に上手くいく。

簡単に上手くいく、くらいならば、引き寄せや潜在意識の書き換えのレベルを出ないのですが、「現実をこねくり回して望む成果を出す」ことでもたらされるのは、一瞬の喜びと達成感です。

語弊を恐れずに言えば、これには虚しさが伴います。

なぜなら、その喜びと達成感は通りすぎるものであり、消費されるものであり、その瞬間が過ぎればなくなってしまうからです。

どんなに欲しかった物でも、買ったら満足してしまい、次の何かが欲しくなる。あの感覚が近いと思います。

しかしこの光から創り出す、の意図を工夫してみると、もたらされる成果が「簡単に良い感じになる」のはもちろんのこと、ずっと満たされ、ずっと嬉しく、ずっと幸福で、ずっと豊かである。となる。

とにかく「尽きない」のです。

今は、この「光」からビジネスと人生を自由に創り出すこと、「光」から豊かさを自由に生み出せるようになるための、セッションを提供しています。

ここでは、私が見出した光について言及しましたが、人が違えば、見出す光の在り方も違うかもしれない。

クライアントさんそれぞれが、自分だけの無極無窮の光を拠り所として、ビジネスと人生の自由創造を楽しめるように。

これからも、人が光を思い出せるような磁場を提供していきたい。

改めてそう感じることができた、良い体験でした。