こんにちは、ミリオンコーチ育成専門家のmai(@maimecc)です。
このたび、ミリオンコーチマインドマスターのメンバーを対象に「次元上昇マインドセミナー」と銘打った1泊2日の合宿セミナーを開催しました。
対象であったマインドマスターのメンバーは「売れるだけではない成幸」をめざし、とても利他的で本質を大切にするコーチの方々。
それもあってか私が提供した内容を、「自分のクライアントさんにも伝えていきたい!」と感じていらっしゃる方が多かったことが印象的でした。
なので、私が裏で何を考え、何をやっていたかということを、私目線のこのセミナーを覚書として残しておきたいと思います。
覚書というか、もはや日記です。なんなら内輪話です。
興味がなければスルーしてください。あるいは、これが誰かの何かの役に立てば幸いです。
スピリチュアル全振りに舵を切ると決めた2023年
ことの発端はちょうど一年前、私は何を思ったかよく訪れる九頭龍神社さんで「自分のスピリチュアル方面のリソースを発揮していく」ことを決意表明しました。
当時は「いかに売上を立てるか。良い形で売上を立てるためにはマインドが大事である」という発信をしていたと思います。
お墓参りや神社詣りには行ったほうがいい、くらいのことは言っていましたが、いたって「”普通の範囲内”の本質」を語っていたと思います。
その本質すら情報社会においては見失いがちなものですが、それでも「冷静に考えてみればそりゃそうだよね」という、雑念を排除すれば誰でも理解可能なものでした。
なので、なんでいきなりそんな「スピリチュアルを〜」と決意をしたのかは、ぶっちゃけよく覚えていません。
ただ、神前で決意表明でもしないと、
「怪しい目で見られたくない」
「信頼を失いたくない」
「理解を得られずに空回りしそう」
「馬鹿にされてしまうんじゃないか」
という恐怖を払拭できないと思っていました。
払拭できないということは「自分の人生が中途半端になる」となぜか思い詰めていたわけです。
その後そのまま箱根元宮に登り、ひどい強風と霧で吹っ飛びそうになりながら「スピリチュアルを!やります!!」と食い下がりながらまた決意。
地上は穏やかな天気だったのに、山頂の天候がめちゃくちゃ荒れていたので、それはもうビビり散らかしながら帰ったことを覚えています。
やべえセミナーをやる決意
そこから一年間試行錯誤し続けるなかで
「そうだ、初夏の良い季節にマインドの話しかしない1泊のセミナーをやろう」
「場所は私の一番のお気に入りの箱根で、一番良いルートを作って開催しよう」
とふんわり考えるようになりました。
ところが今回いざやってみたら「徹頭徹尾スピリチュアルの話しかしないやべーセミナー」をやる運びになったわけですね。どうしてだろうねぇ……。
これは夏至以降の加速が原因なのですが、それはさて置き。
「マインドというよりも、いっそスピリチュアル全振りで行こう」と決めたのは開催1ヶ月前くらいだったのですが、当然ながらスピ全振りで喋り続ける経験もなければ自信もありません。
なんなら怖い。フツーに怖い。どうするよ、ドン引きされたら。
たとえば長い付き合いのクライアントさんに「こいつ何言ってんだ」みたいな顔をされた日には、さすがに私だって心が折れる。3日は寝込む。
マンツーマンで個別事象へのフィードバックならまだしも、「体系的に多数へ語る」のは未知すぎたわけです。
それでも「参加者は2〜3人だろうな。箱根、行きにくいし。平日だし」なんて思ってたら結局9人もご参加いただき、いよいよ逃げられない現実に直面して震えがとまりませんでしたね。
けれど「スピリチュアルを扱わない」という選択肢はありませんでした。
これからクライアントさんが永く活躍し続けるためにも、自分が自分に一致しているためにも、そしてこれからの時代に必ず必要になることだと感じていたからです。
他力に縋り、成り行きに任せる
スピリチュアルというのは、聞こえは怪しいですが要は「感覚の世界」です。
「考えるな、感じろ」を地で行って最善最高の結果を獲得する。これがビジネスにおけるスピリチュアルの表れ方になります。
セミナー資料を作ろうかなとも思ったのですが、実は言語化すればするほど本質から乖離していくのが感覚の世界。
そんな領域を、図と言葉と構成を用意して資料化型化したところで、正しく感得してもらえるのか。
そう、知得でも体得でもなく、感得できなければ意味がない。
相手に感覚を感得してもらいたいのに、自分が知得ルートで語ったらどう考えても逆効果なわけです。
そこで相手にフィーリングで理解してもらうために、私もフィーリングでいこう、ということで、事前資料の準備を放棄しました(決して面倒だったとかではありません)
しかしフィーリングでいこうと決めたところで、自信はない。ないもんはない。
そのとき、私には「たとえ自分の既存バランスを崩してでも人を頼れ、後ろ盾を得ろ」という課題が人生の根底にある、ということを思い出しました。
確かに私はメンターを得てからすべてが好転しており、自分の古い価値観や信念を放棄=バランスを崩して後ろ盾を得ることで道が拓けてきました。
でもこのタイミングで、あえて何かの後ろ盾を得るとしたら何だろう?今更特に無いよなぁ。何かあるかな?いやいや。
……いや。いた。
神だ。(は?)
九頭龍神社にいくなら龍神様に助けてもらえばいいじゃん。名案〜!ということで、とりあえずは前日夜に久しぶりに守護龍を呼んでおくことに。
以前は
「ヤバいのを呼んでしまったら、それがヤバいかどうかも分かる自信がないし怖いからやらない」
と決めていたのですが、今はもうヤバいかどうかは分かるし、たとえそいつがヤバくても私のほうが生命として圧倒的に強いから勝てるという謎の自負があったので、深く考えずに敢行。
ずいぶん以前に視たのは白い龍だったので、てっきりその子がくるかと思ったら……
何やら灰色な子がやってくる。
あれ、ずいぶん暗くて渋い色だな。大丈夫かな?(失礼)と思いながら、近づいてくるのをよくよく見たら綺麗な銀色でした。なるほどね。
来てもらった後のことを全く考えておらずノリでやってしまったので、「とりあえず」という安易さで自分の中に入っておいてもらったんだけど、それがだいぶまずかった。
エネルギーが上がりすぎて身体が興奮状態になり、めちゃくちゃ目が冴え、結局2時間しか寝れませんでした。そりゃそうなるよ。
寝坊しなくて本当によかった。
引くほど淀んだ会議室

当日、準備のために早めにホテルに到着。
そこまでは良かったのですが、会議室へ案内してもらってびっくり。
しぬほど部屋が淀んでる。なんなら、ちょっと、なんかいる。
私もこのホテルは常連。部屋もいい。料理もいい。立地も最高。
それなのにまさか会議室はヤバいだなんて夢にも思わないわけです。
嘘だろこんなん、こっちは趣味で会議室予約したんじゃないんだぞ。お客様のおもてなしをここでやれってか?
思わず向かいの会議室を除き見する。
おいおい、そっちはめっちゃ綺麗じゃん。
え、うちだけですか?
一応、スピリチュアルな話をする以上は、アレなのが寄りつかないよう浄化しようと思って浄化グッズ持ってきていました。
でもあまりの淀みっぷりにもうそれどころではなく。
浄化(物理)をすることにしました。
フロントに布巾を注文し、机を拭きまくる。椅子を拭きまくる。設置型のエアコンを拭きまくる。柱を拭きまくる。壁を拭きまくる。ドアを拭きまくる。
すると、布巾が嘘みたいに真っ黒になる。
そもそも明らかに掃除自体がされてない。
拭けば取れるレベルの汚れが放置されている。なんかいると思ったのは残ってる「念」。だったわけです。
たとえるなら、年季が入った賃貸マンションの、引き払ったばかりでクリーニングがされていない空き部屋を想像してもらえたらわかりやすいかもしれません。
なんで私箱根まできて掃除してるんだ?
一瞬我に返りそうになるのをぐっとこらえ。
きっとこのお部屋は、私に磨かれたくて私を呼んだんだな。そうだよね、つらかったよね、私が責任持って綺麗にしたる!任せろ!おりゃー!!
なんて一心不乱に汗だくになって磨いてる途中でまさかのクライアントさんご一行が到着。え、ちょ、早くない?ああそうか、送迎バスってホテル直行だから早いんだっけ……え、わたし、汗やばいんですが……
でも幸い、部屋は浄化(物理)によって見違えるくらい綺麗になっていたので、そのままお招きしてセミナーを開始。
感得のためのアイデア
フィーリングですべてを進めると決めていたので、話しながら、投げかけながら、頭に連鎖的に浮かんでくる言葉を、堰き止めずに即出しし続ける方法を取りました。
感覚を自分のハイヤーセルフにがっちり繋いで最大限まで上げて、昨晩に呼んだ龍にも「助けて」と伝えて、もう湧き出るがままに喋る。というより、喋らされる。
何も考えてないし、自分でも何言ってるかあまりわからない、なんでそれを喋っているのかもわからない。そしてもはや、何喋ったかあまり覚えてない。
「ついてきてる?」「大丈夫?」と皆に聴きながらではあったものの、幸い皆がしっかり受け取ってくれている様子で、それが本当に安心した。
そこからホテルの中庭に出て、裸足になってもらい、芝生に直でグラウンディングへ。
事前にホテルスタッフさんに「あのお庭、大人が10人くらい転がっててもご迷惑じゃないでしょうか?」と訊いて了承をとっておいたのでそこは安心。
とはいえ、皆お行儀の良い大人だから、「裸足で芝生直歩き」といった皆が躊躇するであろうことは私がファーストペンギンになる。
私は元々、楽しそうなものを見つけたら走り出して転がる人間なので、別に難しくはない。いつもの自分を出すだけ。
とりあえず自分のサンダルを、派手めに脱ぎ捨ててみる。
どうかな、と皆を振り返ると、ちまちまと皆裸足になって芝生を歩き始めてた。ペンギンじゃん……
しかし中には脱ぐことを躊躇してお行儀よくしている人も。なるほど、あのへんはもう一押し必要だなと覚えておく。
一度踏み出してしまえばあとは早くて、誰に言われたり真似するまでもなく、1人、2人と芝生に直で転がり始めた。そうだ、その調子だ、いいぞ!!!

見えない世界、繊細さを感得するには、余計な思考・ジャッジを手放す必要がある。
それはつまり、人の目を気にせず、子供のように、純粋に、感覚のままに、何ひとつ制限なく自由に振る舞うことである。
それはつまり、多くの場合は変人に見えるくらいがちょうどいい。子供っぽいくらいがちょうどいい。ということなんですね。
しかし普通の人ならまだしも、お金や売上、競争やライバル、数々のキラキラマウントとポジショントークに日夜晒されがちな起業家・ビジネスマンには、これがだいぶ難しい。
難しい……はずだったのですが、セミナーで色々語り、ワークのやり方をお伝えしていたことが功を奏し。
グラウンディングやセンタリングを踏まえた上での芝生直歩きだったからか、皆のびのびしていて本当に良かった。
謎の卓球大会
夕食の最中、「当ホテルには卓球会場がある」レストランのソムリエが仰られたことをきっかけに、皆次々と乗り気になり、食後はなぜか卓球会場へ。

うーん、うちって卓球サークルだったっけ?これって卓球合宿だったっけな?面白過ぎだろ。
でもね、そこでちょっと感動したのが……
卓球ではしゃいでいる、年齢も性別も境遇もバラバラな大人達が、めちゃくちゃ輝いていたこと。
すごくすごく楽しそうで、皆の「楽しい」が卓球場に溢れてて、白熱した熱気ですんごく暑い……のもそうだったんですが、エネルギーがキラキラ輝いていて眩しくて。
私はそれを見て泣きそうになった。
私の涙腺の様子がおかしい。卓球で遊んでる大人達を見て泣きそうになってる。なんで?その後、部屋に戻ってから普通に泣いた。
「無邪気にはしゃいでいるキラキラした大人たち」という光景を見ることができる。その光景を創ることができている、なんて自分は幸せ者なのかと、その光景が心にぶっ刺さって本当に無理だった。
まあ私もちゃっかり混じって汗でドロドロになったんですが。卓球楽しいよね。
九頭龍神社にて
九頭龍神社はかなり有名で人気な神社なので(ただでさえ今年は辰年だしね)、休日は人が多いし、月例祭も大混雑する。
静かに参拝を堪能しようと思ったら、平日の午前中一択なわけです。
すでに前日のセミナーや芝生グラウンディングや卓球(?)で、「感覚が開かれつつあり、リラックスしている状態」が作られてからの満を辞して参拝でした。
まずは参拝。初めて見る本殿、湖に浮かぶ鳥居。
皆、ここには初めて来たとのこと。
ここは佇まいからして幻想的な神社なので、初見は当然ながら興奮する。夢中になる。写真撮影も捗る。
一通り参拝が終わってから、皆に声をかける。
「周りを気にせず、喋らず、写真を撮らず、五感を研ぎ澄まして、額(第6チャクラ)に集中しながらもう一周参拝してください」
気兼ねなく参拝のおかわりできるのは、人が少ない平日午前だから。(それにしても今回は人がほとんどいなかった。普段は平日午前でももっといる)
マジで参拝は平日午前しか勝たん。
今回はとにかく感得がテーマ。いかにして感得してもらうか。感じてもらわなきゃ意味がない。
でも見えない存在は五感のさらに上の第六感の話なので、昨日の今日でそこまで感じるのは、この磁場あっても多少厳しい人がいるかもしれない。
というわけで、私はちょっと離れたところから皆の第6チャクラを「受け取りやすいように」浄化と活性化を開始。
ここまでのお膳立てがあり、皆が額にうっすら意識を集めている今なら、「受け取れない」「なんもわからん」という置いてけぼりはいなくなるはず。
というわけで、その場にあるあらゆるエネルギーを総動員してサポートしてもらい、浄化もとい、私の第6チャクラを皆のそれと繋いで強化、みたいなことを軽くやったんですが……
慣れないことをしたからか、その後は昼ごはん食べた後に鬼睡魔で爆睡。
でもそっからの皆の感度は普段より多少は上がってたんじゃなかろうか。たぶん。そうであってほしい。
ちなみに参拝後は、湖の端っこで皆も水に足を浸し(私がファーストペンギンでサンダルを脱ぎ捨て以下略)、あそこの波の動き、龍っぽいよね、なんて話もしながら、観測した現象をエネルギーとしてどう捉えるかという話をするなどしました。

何が正解か、真実はどうなのかではなく、しっかり地に足つけてアンテナを高く伸ばした「自分」が「どう感じるか」が大切であること。
伝わっていたらいいなとおもう。
ラッキーの連続
九頭龍さんのあとは、箱根元宮へ。
雨が降りやすい山の天気と、微強風ですぐ止まるロープウェイと、ロープウェイが動いていて登っていても神職さんはだいたい不在。
参拝のハードモードさ、呼ばれないと行けない度合いで言えば、全国でも上位に食い込むであろう神社。それが箱根元宮。
朝方は強風で「こりゃ無理かな……」なんて心配していたんですが、
雨も降らず、ロープウェイも動き、神職さんもいるというまさかのトリプルラッキー。
私の体感、3回に2回は強風で登れすらしないんですが。さすがにラッキーすぎない?
まあ、登ってみたら前が見えないレベルで霧が立ち込めていたんですけどね。

雨の日も霧の日もここに来たことがあるので「私、慣れてますから」感出して霧の中を進んでったんだけど、普通に道間違えたよね。主催としてかっこつかない。くやしいです……。
その後、登頂して元宮を参拝し、しばらく経ったら徐々に青空がチラ見え。
これ、もう少し待ってたら晴れるんじゃ?
そう思って眺めていたら、今度は富士山がチラ見え。富士山チラ見えに大興奮する若干10名と、そこに居合わせた老夫婦。
しばらくして雲の動きが加速したかと思った瞬間、まっしろすぎて前後不覚になるレベルだった雲と霧がものの3〜5秒のあいだに一気に吹き流され、晴れ渡った青空と、地上の眺望が目の前に広がった。

いやいやいやいや、何それ。マジで?奇跡の大盤振る舞いですか?皆すごいわ。なんかありがとう。
前回私が来たときは、吹っ飛ばされるんじゃないかってくらいの荒天だったのに。
天罰でも下りかねないレベルで「私、もしかしてなんか怒らせちゃいました?」って震えるくらいの大荒れだったのに。
それがこんな穏やかに迎えてくれて、ここまで素晴らしいものを見せてくれるなんて。
私ひとりが風で吹っ飛ばされてビビるのは全然いいんですよ。
でも大切なクライアントさんたちが、初見の場所でそんな目に遭うのは、さすがに無理。
でもそれが、一番大切なタイミングで、一番いいものを見せてくれるなんて。
「ああ、良かったなあ」と、また泣きそうになった。
旅の終わり
その後はわちゃわちゃとした箱根神社に参拝し、売店のお兄さんから「皆さんどんなご関係で?」という質問への答えをすごく雑な回答で濁し。
なんだかんだで、無事に1泊2日を終えました。
クライアントさん達の清々しい表情、重荷を下ろした笑顔、取り戻した穏やかさ、パワフルさ、執着を手放した軽やかさ。
それを一番近くで感じることができて、私にとっても本当に幸せな時間でした。
そして何より、そんな素晴らしい体験が叶ったのは、
他でもないクライアントさん達自身が、その磁場作りに働きかけてくれていたから。
お互いに助け合い、引き上げ合い、否定せず、できることもできないことも、成功したことも失敗したことも尊重し、張り合わず、冷笑しない。愛ある場所を本人たちが創ってくれていたから。
マインドマスターの方々は、元はといえば「コーチとして稼ぎたい」だけで集まった人たちでした。
もちろん「やりたいことをやれるだけの稼ぎが欲しい」のは変わらないわけですが、その根底にあったのは、「自分を幸せにして、周りの人を幸せにしたい」だったんですね。
それが決して口先だけの綺麗事なのではなく、人生懸けてそれをやりたい人たちなのだと、それぞれがそう決めて生まれてきた結果として、共鳴し合って出会ったのだと、なんとなく分かっちゃいたけど、今回で改めて確信しました。
あとはなんだかんだで、全員スピ素養があるんだなってことも分かりました。
スピって素養ないと、そもそも情報すら入ってこないから。入ってもスルーするか、曲解して別物にしちゃうから。
信じるか理解できるかは別として「そういう情報に触れてきた」人たちが、起業やコーチを志して、こういう場で会する。
それは「他者を助ける、導く、癒す、力付ける、そういう人生の目的を内包している人たち」なのだということ。
その前座として、まず自分を満たして癒す必要があるだけだということ。
この人たちやっぱすごいな、と一人間として、尊敬する思いでした。
豊かさとは何なのか。
いかに人生が変わるような2日間をプレゼントするか。
豊かさとは何か。守られてるとは何か。何がどう「大丈夫」なのか。
それを感得してもらうことが、このセミナーの目的でした。
私はこの感覚を元々知っていて、ビジネスでの成幸はその「後」なんです。
でもきっと多くの場合は逆なんですよね。
だからたった1回の失敗で、将来すべてが暗くなったように錯覚するし、他人とやたら比較するし、「お金さえあれば」って思うし、売上を自分の成績表のように捉えるようになる。
しかし万物はエネルギー。お金もエネルギー。
山も、空も、湖も、風も、エネルギー。
ではそれらを目の前にして五感で受けるエネルギーを、もしお金に換算するとしたら?
もはや億や兆なんてちっぽけな単位では表現なんてできない。
そんな圧倒的なエネルギーを、豊かさを、私たちはその気になれば、感覚を磨いていれば、いつでも常に世界から受け取ることができる。
これってすごいことなんですよ。
今この瞬間、どんなときでも自分は完璧で、満たされて、守られて、祝福されていて、豊かであるという、感覚と確信。
それを起業家が感得したとき、受け取った圧倒的なエネルギーを、今度は自分が放って循環を作り上げることができるうようになる。
そう、起業家にとってはこの「放つ」もセットで大事。
スピ傾倒しすぎてしまうと、行動とかパワフルさがさっぱり疎かになるからね。
でも天と地の調和が取れたなら、想像を超えた豊かさが、巡り巡って自分のもとに入るようになる。
その「豊かさ」の中には、愛する人との楽しい時間、親切な人々の笑顔、美味しいご飯、大好きなファッションやグッズ、お布団で好きなだけ寝ていられる時間……
豊かさのエネルギーが、さまざまな形を取ってやってきてくれる。
そうした「豊かさのエネルギー」の中に「お金という形のエネルギー」が混ざり込むようになる。
そして「お金」を意図すれば、巡ってくるあらゆる豊かさの中における、お金の割合が増える。
つまり、豊かであることが日常になり、必要とあらばお金をいつでも好きなだけ受け取れるようになる。
引き寄せは、引き寄せるまでもない常識になる。
しかしそんな「蛇口をひねれば水が出る」というのは……豊かであると同時に、退屈でもある。
「自分、こんなもんか」の世界になる。贅沢な話かもしれないけど、私はそうだった。
退屈で退屈で退屈で、新しいオモチャを見つけても、新しい娯楽の世界を見出しても、食事の値段を上げて、ホテルの値段を上げて、持ち物の値段を上げて、ハイブラの数を増やしても、自分をいくら着飾っても、どれも同じ。
結局、心が熱くならない。感情は喜んでいても、魂が沈黙してる。無理に温度を上げてみても、すぐ冷める。
だから私は長らく、やる気がなかった。
あと何年、蛇口ひねり続けるのか。人生、まだ長いなぁ。寿命まだ結構残ってるっぽいのになぁ。
そんなことを本気で思ってた。
でもその豊かさと退屈の境界は、統合していくことで抜けることができる。少なくとも、私は抜けた。抜けると、次にどんな未来がやってくるのか?
天命でビジネスをやるようになる。
つまり「やりたいこと、楽しいことだけで、最幸の自己表現としてビジネスをやる」を見出せるようになる。
それこそ、私が覚悟を決めてスピリチュアルに舵を切ったのと同じように。
私だってまだまだ道の途上だけれど、多くの人にとっては私が「退屈」と感じていた踊り場までの距離も、まだ少し長いかもしれない。
でもその道を本気で望むのであれば、今の状況がどうであれ、周波数が変われば変わるほど、誰もが着実に上がっていける。
そして退屈な踊り場に出ても、必ずそれを超えていける。誰であれ大丈夫。絶対に大丈夫なんです。
そして私はそれをサポートできる自分として、生涯在り続けると決めている。
今回のセミナーで、その気持ちを新たにしました。
ミリオンコーチマインドマスターにおいては、これからも皆の補助輪として、転ばぬ先の杖として、つついて欲しくないところに限って躊躇なくつつきまくるキツツキとして、私自身もさらに上げていきます。
皆が一層、この人生を謳歌できますように。

感謝。