こんにちは、プラチナマインド®️コーチのmai(@maimecc)です。
長年ビジネスをやっていると、この先の人生の明暗を分けると言っても過言ではない「分岐点」が何度か訪れます。
その分岐点においては、選ぶとビジネスが好転していく道と、選ぶとビジネスが人生が暗転していく道があります。
厄介なのは、「選ぶとビジネスが暗転していく道」を、「ワクワクするから」「やりたいことだから」「魅力を感じるから」とポジティブな理由を見出して選んでしまう人が多いということです。
分岐点を迎えている人にはどんな兆候があり、どのように見極めればいいのでしょうか?
分岐点を迎えている人の3つの兆候
具体的な分岐点について、3つの兆候を説明します。
大きく感情が動く出来事が発生したとき
喜び、感動、悲しみ、怒り、嫉妬……さまざまな感情がありますが、ポジティブ・ネガティブ問わず、大きく感情が動いて、その感情に基づいて行動しようとするとき、それがビジネスにおいて致命的な分岐点になり得ます。
新鮮だと感じるビジネス手法に出会ったとき
素晴らしいと感じる誰かに出会ったとき
こんなのはおかしいと正義感が湧いたとき
つらいのは嫌だと現実に苦しんでいるとき
そのほかにも、SNSを眺めていたりいろんな人に出会っていくと、さまざまな感情を持つようになります。
極端な言い方をすると、大きく感情が動くいうのは、自分の軸から大きくズレるということです。
(じゃあ無感情になろう、というのは違うのでやめてくださいね)
本来の「あなた」というのは、現実をすべて自分の意識で創り上げている存在なのだから、本当は目の前の現実に対して、不思議も想定外も存在しないんです。
なのに大きく喜んだり大きく悲しんだりというのは、筋書きをすべて知っている自作映画を見ながら、本気で一喜一憂しているのと同じなんです。
それってどう考えても、正気じゃないですよね。
その感情を持ったとき、どのように振る舞うのか。何をどう選択するのか?
これ次第で、ビジネスの結果が大きく変わるのです。
大きな感情が発生するときは、その感情の源を探ることで人生を好転させ得るヒントになります。
私もたくさんのヒントを回収して、
しかし大きな感情は大きなエネルギーでもあるので、「突き動かされる」人がほとんどです。
感情のまま突き動かされれば、それはズレたまま動くのと同じ。
本来進むべき道から大きくズレてしまうのです。
これまでの人間関係が離れてしまったとき
人間関係が変わるということは、合致していた周波数先が変わるということでもあります。
これは良い場合もあれば、悪い場合もあります。
高い周波数に転じた結果として人間関係が変わるなら、それは素晴らしいサインです。
しかし自分が低い周波数先に降りてしまうことで人間関係が変わるなら、それはちょっとマズいですよね。
もちろん、起業家である以上は望んでダメになる道を選ぶことはまずないでしょう。
これも盲点になりやすいもので、自分の周波数が低いとき、魅力的に感じ心地よく感じ、「しっくりくる」のは周波数の低い環境や人間関係なのです。
高い周波数を心地よく感じるのでは?と思うかもしれませんが、高かろうと低かろうと、人は自分と違う周波数を違和感を感じます。
人間関係が変わるとき、その本質的理由を真摯に見つめることができなければ、自分の周波数の下降を食い止めることができません。
エゴを刺激されたとき
起業家が一番直面しやすい分岐点はこれかもしれません。
SNSなどを通してさまざまな刺激を受け、
自分だってもっと成功したい
あの人ができるなら自分も売れるはずだ
もっともっと有名になりたい
周りから尊敬される立派な起業家になりたい
まだ知らない魔法のようなスキルがあるはずだ
このような「自分が自分が」といったエゴを刺激されたとき、その勢いで大きな決断をしていまうと道を誤ります。
たとえば、落とし穴のような高額投資とかですね。
エゴを刺激されたときは、「エゴを刺激されてるな」と俯瞰することができれば踏みとどまることができます。
刺激されて感情が動くときは、先述の「大きく感情が動いたとき」と同じで、自分の軸から大きくズレるということでもあります。
それを内観することができれば、勢い余って高額投資したり、商品を変えてしまって売上不振に陥ることもありません。
しかし不安、悩み、焦りに取り憑かれて、いとも簡単にエゴを刺激され、大きな選択ミスをしてしまう人が少なくないのです。
暗転する道を選ばないための3つの観点
ではこうした分岐点を迎えたとき、致命的な判断ミスをせず「自分のビジネスと人生にとって最善最高の選択」をするためには、どうやって見極めたら良いのでしょうか?
それは、「貧乏マインドに陥ってないか」という内省を行うことです。
それはエゴではないか?
エゴかどうかの内省は、他の2つに比べて難しいものです。
正しくは「自分の本質に一致しないものはエゴ」ということになります。
本質というのは「宇宙の源の分け御霊のような存在である、万能かつ神性な自分」ですね。
しかしそれ以外はエゴだからダメだと言ってしまったら、あらゆる願望を否定する羽目になり、ビジネスをやるモチベーションがなくなってしまいます。
私も今は「自分の天命に沿って人生を体験し尽くす。魂の目的の+αまで到達する」ということをビジネスのモチベーションにしているので、本質と一致して楽しく活動しています。
しかし今でこそそうですが、はじめはかなり葛藤しました。
もははエゴと悟りといったテーマになってくるため、そんな哲学・スピリチュアルじみたことを教えてくれる人もおらず、長いあいだ手探りで「ビジネス」と「魂の成長」の両立に向き合い続けてきました。
これは私の結論ですが、その人自身の成長フェーズ次第で、どこまで本質に一致し、どこまでエゴに傾くかは変わってきます。
だからこそ「その人がそのときできる最大限で、自分の可能性に制限をかけることなく、本質に一致する」ということを心がけることが大事です。
具体的には、「エゴではないか」という内省を、三日三晩続けてみると良いでしょう。
ちなみに、タワマンに住みたいとかハイブラを買いたいとか、「その程度のエゴ」はちゃっちゃと叶えてください、と伝えています。
いろんなところで伝えてますが、それらの本質は「コンビニのおにぎりを買いたい」と同じです。
「コンビニのおにぎりを買いたい」に対して「エゴだから内観しなさい」とはならないでしょう。
エゴがエゴとしてビジネスの足を引っ張るのは、そこに執着が生まれるからなんです。
どんなことも、叶えてみないと、どう感じるかは分からないからです。
叶わないことを嘆きながら燻らせ続けることは不健康です。
やりたいことは、さっさと体験してしまうべきなんです。人生は有限なんですから。明日も生きてる保証なんてないんですから。
叶えてみて、体験してみて、「心地よい、幸せだ、満たされている……」そうした心からの喜びがあるなら、その願望をさらに「おかわり」するのも良いでしょう。
しかしそれを繰り返していると、いずれは、何を買っても叶えても高揚感は無く「こんなもんか」という虚無感に苛まれる瞬間がくるかもしれませんね。
そのときが、「何を叶えるか」ではなく「どう生きるか」に向き合うタイミングかもしれません。
それは損得勘定ではないか?
リスクを避けたいからそれはやらない。
大きな利益が得られそうだからそれをやる。
ビジネスにおいては一般的かつ合理的なこうした判断も、大きな分岐点の前では取り返しがつかない結果を招く可能性があります。
大きな分岐点であればあるほど、つまり大きな決断であるほど、「損得抜きで、自分の人生のためにそれを心からやりたいと思えるかどうか」をベースに判断することができれば、致命的なことにはなりません。
自分の本心がわからない、という人のために有効なキラークエスチョンがあります。
それは「たとえ赤字になってもやりたいかどうか」です。
それでもやりたい、と思えるものならどんな結果になっても悔いは残りません。
赤字になっても良いと思って取り組むものは、たとえ失敗に終わっても大きな教訓や価値を残してくれるか、大抵の場合は普通に成功します。
それは他責ではないか?
何かや誰かを批判・否定した上での選択をしようとしていないか?
自分の不調や状態の原因を「外側」に求めようとしていないか?
起業塾が悪い、コンサルが悪い、旦那が悪い、上司が悪い、義母が悪い……そんな他責や被害者意識をもとにした行動を採ろうとしていないでしょうか。
客観的に見れば「他責」なのですが、当事者たちにとってはいたって深刻かつ真剣であり、視野狭窄に陥っています。
他責に陥った人の特徴として、「自分の意識を肯定してくれる人以外の言葉は届かなくなる」というのがあるのです。
そこまで思い込み、思い詰め、自分自身を洗脳をしてしまう前に、「自分の意識の非」にニュートラルに向き合う必要があります。
他責にしてしまうこと自体は決して恥ずかしいことでも、罰すべきものでもありません。誰だってやってしまうものです。
大切なのは、そこに気付き、学び、自分の意識、考え方、在り方を高めることなのです。
悪意がなければ破滅はしない、けれど……
ビジネスも人生も、その結果は100%マインドで決まります。
今回前提として話した「大きな分岐点」というのは、ほとんどの人にとっては売上が上がるか下がるか、ちょっとコケるか、やらかしても数年の再起不能で済むレベルのものです。
しかしエゴ、損得勘定、他責が肥大化すれば、それは他者への悪意・害意になります。
そうした悪意・害意で分岐を選べば、言うまでもなく人生は破滅します。
さすがにそれは極端なたとえで自分には関係ない、と思うかもしれません。
しかし人生は何が起こるかわかりませんから、まるで試されるかの如く「究極の選択」を突きつけられる瞬間がくるかもしれません。
大きな分岐でも、小さな分岐でも、悩んだときはぜひこの記事をもう一度読んでみてください。
きっとあなたの助けになるはずです。