帝王学とは何か?流行や表層を超えて本質を理解する

エグゼクティブコーチの大場麻以です。

「帝王学を学んでいます」

そう語る経営者が、ここ数年で急増しています。

しかし、その多くが語る帝王学とは、算命学や四柱推命で自分の宿命を読み解き、天中殺を避けて行動するといった「占術としての帝王学」です。

あるいは帝王学を、人を動かすための心理戦術や、大局を制するための兵法として捉えている方もいるでしょう。

もちろん、それらも帝王学の一部ではあります。

しかしあくまで「枝葉」ではあって、本質ではありません。

2024年以降、風の時代を生きる私たちリーダーが本当に必要としているのは、宿命に従うための帝王学ではなく、宿命を超えて立命で生きるための帝王学なのです。

帝王学が辿ってきた歴史の偏り

なぜ帝王学は「占術」と「兵法」になったのか

そもそも帝王学とは何か。

あなたは帝王学と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?

「自分の星回りを知り、吉凶を見極めて動く術」
「部下を統率し、ライバルを出し抜く戦術」

このように捉えている方が大半かもしれません。

実はこれは、帝王学が歴史の中で辿ってきた「偏り」の結果なのです。

私も最近では、帝王学に関する広告やマーケティングをたまに見かけます。

もちろんそのすべてを熟知しているわけではありませんが、本質が蔑ろにされていることが多いようです。

古代中国において、帝王学は本来「徳で治める=徳治」のための教えでした。

つまり、
リーダーがどのような精神、視座で物事にあたるべきか。
どのような在り方で人を導き、国を治めるべきか。

そうした「在り方」と「道」を極めていくことこそが、帝王学の原点だったのです。

争いの歴史が生んだ実益重視の変容

しかし、春秋戦国時代から三国時代、そして日本の戦国時代に至るまで、絶え間ない争いの歴史の中で、帝王学は大きく変容していきました。

「悠長に徳を語っている場合ではない。明日の戦に勝たなければ、国が滅ぶ」

そうした切迫した状況の中で、帝王学は「実益」と「即効性」を求められるようになったのです。

占術が重視されたのは、吉凶を見極めて勝率を上げるため。
兵法が発展したのは、限られた兵力で敵を制するため。

つまり、どちらも「目下の動乱に対処する」ための手段であり、その「手段」だけが帝王学の中で肥大化していったわけですね。

本質が見失われた理由

こうした歴史の変遷の中で、帝王学の本質である「徳」「在り方」「道」は、次第に影を潜めていきました。

なぜなら、争いの渦中にあるリーダーにとって、

「人としてどうあるべきか」よりも 「いかに勝つか」が優先されたからです。

在り方は時間をかけて育むものですが、勝利は今すぐの結果として求められるもの。

この優先順位の逆転が、帝王学を「占術ありき」「兵法ありき」のものへと変えてしまったのです。

さらに極め付けに、文化大革命においてこうした教えのすべてが破壊尽くされました。

今はこうした在り方と道の教えを得るには、「古代中国の思想をリスペクトしてきた日本の故人たちからのほうが学びやすい」という皮肉な状況すらあります。

現代における帝王学の誤解

宿命を知ることが帝王学ではない

現代の帝王学ブームを見ていると、多くの方が「自分の宿命を知ること」に価値を置いています。

「私は〇〇の星だから、こういう傾向がある」
「今年は天中殺だから、大きな決断は避けるべきだ」

もちろん、自分の傾向や周期を知ることは「生きやすくなる」うえで有益です。

しかし、これでは「帝王学は自己理解のツール」であると言っているようなもので、これは本質ではありません。

帝王学の本質とは「道」です。

宿命を知った上で、どう活かすか。どう超えていくか。

そこにこそ、リーダーとしての器が問われるのです。

リーダーだけの特別な教えという誤解

「帝王学は王様や経営者のための特別な教えだ」

そう捉えている方も少なくありません。

確かに「帝王」という言葉から、そのようなイメージを抱くのは自然です。私も昔はそう感じていました。

しかし本来の帝王学とは、王様だけのための特別な教えではなく、人を導く役割を担うすべての人のための生き方の教えなのです。

家庭においても、組織においても、地域においても、誰かの先頭に立ち、道を示す立場にある人すべてにとって、帝王学は無関係ではないのです。

本来の帝王学とは何か

徳で治めるための「道」の教え

では、本来の帝王学とは何か。

それは一言で言えば、「徳で治めるための道の教え」です。

徳とは、人としての在り方そのもの。

小手先の技術ではなく、精神の成熟度を大切にし、
表層的な知識ではなく、魂の覚醒の深さに重きを置きます。

こうした内側からにじみ出る人間力こそが、真のリーダーシップの源泉であると伝えられてきました。

あなたが「あの偉人のようになりたい」と夢見たことがあるはずです。

そのとき、「あの結果を出したい」と思ったのか?
あるいは「並び立てる人間性を手に入れたい」と思ったのか。

これを読んでいるあなたはきっと後者でしょう。

それを叶えるのは、スキルを学ぶ道ではなく、在り方を極めていく道なのです。

在り方が結果を決める

ではもしスキルを学ぶ道を選んだら、どのようなアプローチになるでしょうか?

「結果を変えるために行動を変えよう」
「まずは必要な知識を学習しよう」

多くのビジネス書や自己啓発書が、こう説いてしますね。

しかし本当は、「ある行動を決めた時点で、それは結果である」と言ったら、あなたはどう思うしょうか?

私たちは何かを思い、意識し、思考し、判断を下し、そして行動しています。

思考以降は、行動も含めてすべて結果の一部です。

意図した瞬間に結果が確定していることが、量子力学をはじめとした現代物理学で解明されつつありますが、これは帝王学における教えが科学的に裏打ちされつつあるとも言えます。

つまり、「在り方」という常在的な意識状態・周波数状態によって、結果そのものが確率的に変わっていくということです。

量子力学

なので結果を変えるために行動を変えようとすることは、「結果を変えるために結果を変えようとする」といった、今まで当たり前とされてきた結果の出し方は、実はとても遠回りな努力だったわけです。

すべての結果の「因」となるのは、あなたの「やり方」ではなく「在り方」、つまり精神そのもの。

その精神を磨き、視座を高め、器を広げることこそが、真に結果を変える唯一の道なのです。

対話を通した実学としての帝王学

在り方が大切なのは分かった。
本来の帝王学がリーダーにとって重要な時代であることもわかった。

ではどうしたらいいのか。

「じゃあまずは学ぼう」

……ではありません。

ここで9割の人は、潜在意識、哲学、占術、自己啓発塾に行きます。

それくらい、私たちに染みついた「やり方ありき」「行動ありき」の思想は根深いのです。

考えても見て欲しいのですが、古来のリーダー達が、学校の教室で、席について、クラスの皆で在り方の哲理を学んでいたと思いますか?そんなわけがありませんよね。

古来からリーダーは、目に見えない世界や精神性のプロフェッショナルとの「一対一の対話」によって、帝王学を学んできました。

なぜなら、自分自身の状態と、自分自身を取り巻く環境に対して、個別性の高い深い洞察でなければ、実学として活かすことができなかったからです。

座学ではなく実学を重視し、 知識ではなく体得を重視する。

対話を通した気づき、修正、実践の繰り返しによって、リーダーは自分の在り方を深めていくことが、結局はもっとも早く、もっとも確実な器を磨く道であると言えるでしょう。

だからこそ、プロとの出会いと対話が、今なお不可欠であるわけですね。

流行を超えて、本質の帝王学へ

帝王学ブームの中で、多くの人が占術や兵法に飛びつきます。

もちろん、それらも有益なツールですが、ツールはあくまでツール。

帝王学の本質は「あなた自身の在り方」です。

どれほど吉日を選んでも、どれほど巧みな戦術を使っても、器が伴わなければ、真の成功は遠のきます。

逆に、器が育っていれば、吉凶も戦術も必要ありません。宿命を熟知する必要すらなくなります。

その状態が、「悟りと覚醒が深い」ということ。

古来のリーダー達が成し得なかった、風の時代の恩恵を受けている私たちだからこそ実現できる、精神進化の形です。

なぜなら在り方が本当の意味で育ち、悟りと覚醒が深まれば、困難を困難と捉えることがなくなります。

すべてを魂の成長の糧とできることはもちろん、行った先、着手した事、出会った相手、あなたが出向き決断するすべてが吉になるからです。

流行や表層を超えて本質捉え
宿命を超えて立命を生き
技術だけではなく在り方を磨く。

そうした「いかに生きるか」を極める道の中にこそ、真の帝王学をがあるのです。