こんにちは、天命覚醒家の大場麻以です。
結論から言います。
天命とは「天から与えられた使命」ではありません。
本当の意味での「天命」を知ったとき、あなたのビジネスと人生のステージは一段上がります。
そのためにも、まずは「天命」という言葉をこの記事を通してより深く捉えていただければ幸いです。
「天命」に対する3つの勘違い
一般的に天命と聞くと、このように思うのではないでしょうか。
- 天=神から与えられた崇高な使命
- 自分にしかできない偉業
- 多くの人に影響を与える社会貢献
- 社会的に成功し尊敬を集める人生
- 唯一無二の自分だけの職業
恐らくどれか一つくらいは、それが事実だと思い込んでこられたのではないでしょうか。
しかしこのどれもが真実ではありません。
ここでは天命に関する3つの勘違い
天とは「頭上の神」ではない
これがもっとも重要なところです。
天を「自分の遥か頭上にいる神的な何か」と捉えている人が多いですが、天とは「頭上の神」ではありません。
そもそもて天とは何か。
古来からさまざまな表現がありますが、神、創造主、宇宙、根源、ソース、真我と呼ばれるものが「天」です。
物質も非物質も、宇宙の渦から誕生しています。
この「渦」がいわゆる神、創造主、宇宙、根源、ソース、真我であり、私たちはこの「渦」から分離してきた、天の分身であり、天の一部なのです。
だからこそ、「天から使令を受ける」「天から命令を受ける」ということは、ありえない。
なぜなら、自分こそが天であり、天はまた自分であるからです。
あなたは一人旅の旅先を決めるとき、誰かに命令されて、泊まる場所、出かける場所、食べる場所を決めますか?そんなつまらないことはしませんよね。
つまり天命とは、自分で決めてきた、自分がやりたいことであり、それは「上」に強制されるものではまったくないのです。
もしあなたが「上にやらされてる」、「自分には使命がある」、「成さねばならないことがある」と思っているなら……
酷な物言いに聞こえるかもしれませんが、それはあなたがそういう重めの設定を、好んで選んで体験しているだけなのです。
天命とは崇高なものではない
もうひとつよくある勘違いが「天命とは崇高なものである」ということです。
そもそも、人には優劣がありません。
首相とあなたの魂の価値は等しく、犯罪者とあなたの魂の価値も等しく、芸能人とあなたの魂の価値も等しい。
私たちには、魂の歴史の中で獲得してきた、体験の差から生まれた個性があるだけで、それはいわば「趣味の違い」程度の差でしかないのです。
だからこそ、趣味の違いがあるだけの等しい私たちのあいだには、特別崇高な天命というものもありません。
なにせ趣味ですから。
京都に旅行したら、金閣寺に行く趣味の人と、鞍馬寺に行く趣味の人と、京懐石を食べる趣味の人と、鴨川のほとりで地元民に混ざって黄昏る趣味の人もいる。
これが崇高だ、これが偉い、と言えますか?
神社参拝して偉いとか、寺に行って素晴らしいとか、人によってはそのように評価することもあるかもしれませんが、そんな優劣は視点によってどうとでも変わりますし、正直、どうでもいいですよね。
しかし本人にとっては「この神社に行って、この御朱印がほしい」など、究極の「やりたいこと」があったりするわけです。その本人にとって、神社へ行くことは決してどうでもいいことではない。
天命も同じです。
崇高かどうかというのは、他者の目による評価ありきです。
そして「評価する他者など存在せず、自分がトップオブトップである」ということは前項でお伝えしたばかりですね。
天命とは崇高なものではなく、究極の「やりたいこと」なのです。
天命とは役割や使命ではない
最後に、天命とは役割や使命ではありません。
役割、使命……どこか義務的で機能的な印象を受けるこれらの言葉からは、「これは自分にしかできない特別なもの」だと天命を履き違えていることがうっすら透けて見えます。
「自分にしかできないこと」というものは、この世界、そして宇宙にはありません。
なんなら、換えはいくらでも効くと言っても過言ではありません。
私たちは役割、使命、などと義務感で自分を縛らなくても、宇宙の運営には自然に組み込まれ、関わっています。
その全体の運営の中で、どこかが欠けることがあっても、その欠けは自然に埋まり調和がとられていく。
あなたが天命に目醒めようと、目醒めなかろうと、天命を放棄しようと、全うしようと、宇宙は「全体の最善」へと調和をとりながら成長していくのです。
だかこそ天命とは、あなたにしかできないことではなく、あなたがあなただからやりたいことなのです。
天命に目醒めるプロセスとは
天命とは、「生まれる前から決めてきた、究極の体験したいこと」です。
そしてこの「体験したいこと」というのは、当然ながらたった一つではありません。
子供の頃に体験したいこと、大人になってから体験したいこと、プライベートで体験したいこと、仕事として体験したいこと、そしてそのすべての底に流れている自分の基盤……
これらは一言や二言で言い表せることではありません。
だからこそ、「私の天命は◯◯です」と明言する必要もなければ、言語化して自分に言い聞かせる必要もありません。
天命は持って生まれたものなのだから、失ったり忘れたりすることはありません。
もし失ったと感じるとしたら、それはただエゴの声があまりに大きすぎるだけなのです。
では、どうすれば天命に目醒められるのでしょうか。
天命に目醒めるなら、覚醒を深めることが必要不可欠
天命に目醒めるプロセスは、多種多様です。
型通りの決まりがあるわけではなく、それぞれの現実、それぞれの体験、それぞれの学びを通して、自分の天命を見出していくものです。
しかし、その中でもこれだけは絶対に外せないというものがあります。
それが「覚醒を深める」ということです。
覚醒を深めるというのは、分離意識を捉え、統合していくこと。
それはより深く自分を知り、天を知り、真理を知っていくといプロセスです。
覚醒を深めるプロセスは、私が天命塾でお教えしているものですが、私がお教えした内容で、覚醒のプロセスが進まなかった人は現在一人もいません。
その手法はここでは語り尽くせないため、「覚醒が深まっている意識状態とは、どのような意識状態か」を以下の記事を参考に知っていただければと思います。
私はなぜ天命に目醒めることができたのか
天命に気付かず、無自覚に天命を生きている人がいます。
それは、高い直観力を持ち、直観であらゆる人生の決断を進めた人です。
私も、進学、就職、転職、投資の是非……そのすべてを直観で決めてきました。
結果として、天命を自覚する前から、大きな困りごとがなく、就職氷河期にもかかわらず、適当な就職活動をしても就職することができ、コロナ禍にもかかわらず独立を成功させ、ビジネスをもプライベートも楽しく向き合ってきました。
私が天命を自覚したのは、ビジネスに成功し、段階的に悟りを得てきた後でした。
「この先、自分は何をしたらいいのか。このまま、ただ成功しただけで、お金と時間を使って遊びながら、人生が終わっていくのか」
「そんなのは嫌だ……でもどうしたらいいかわからない」
という、虚無感に悩まされたとき、天命への道が表れました。
これはある意味、私のエゴが「夢や目標がたくさん叶ってお腹一杯」になったことで、静まり返った瞬間に表れたチャンスだったのだと、今ならそう思います。
声が大きいエゴが黙らなければ、真我の小さな囁きはかき消される。
結果として、天命ではないものを天命と勘違いしたり、天命そのものがわからなくなる。
だから、覚醒を深めることが何より大事なのです。
私もこの虚無感の後、覚醒を深め、自分を知り、摂理を知り、多くの学び、出会い、別れ、試行錯誤を経て、今、天命を自覚的に生きていく「天命を極める」「自分を極める」というフェーズに入っています。
もちろん、覚醒を深めることにゴールはありません。
今でも自分の内側を見つめながら、沸き上がる執着を手放したり、サービスのブラッシュアップをしたり、観測した現実から自分を内観したり、ということを日々行っています。
天命に目醒めると、ビジネスと人生の次元が変わる
私は天命に目醒める前は、普通の会社員でした。
そこからビジネスコンサルとして独立をし、成功し、お金と時間の自由を得たときも、まだ半分くらいは眠っていたと思います。
「自分という存在を使って、今世で何がしたいのか」
これに目醒めてからは、一気に出会う人、ご縁をいただく人々の層が変わり、もともと持っていた霊的な感性も、セッションや講座で能動的に使うようになりました。
天命は「自分が自分であるからこそ本当にやりたいこと」であり、天命を生きるというのは、自分自身を極め、本命の人生を始めるということだと私は感じています。
あなたがもし、今の自分にしっくりこない、あるいは迷いと不安の中で「これからどのように生きるのか」に向き合っているのであれば、「自分の天命を知る」という道を選ぶことをおすすめします。


















