こんにちは、コーチのmai(@maimecc)です。
人は皆覚えていないだけで、多かれ少なかれ「転生」という形で様々な人生を経験しています。
そして私はどちらかというと、過去世というのは興味がありませんでした。
過去は過去、今は今。
今世だろうと過去世であろうと、過ぎたことに思いを馳せても実りがない。そう思っていました。
私は今より先の未来にしか興味がなかったのです。
そんな私がここ半年ほどかけてアトランティス時代の記憶を思い出し、どのように向き合い、水に流したか、その話をします。
なぜこの話をするかというと、所謂「多くの人が語っている記憶の内容」とは異なること、レムリアの記憶を語る人は多数いても、アトランティスの記憶を語る人は、少なくともWEB上において極端に少ないからです。
私はわからないことがあるとWEBで調べたり、調べることでリーディングやチャネリング結果を裏付けすることも多いです。
しかしこの件については、あまりの材料の少なさに、個人的にかなり困りました。
今後アセンションが進むにつれて、こうした記憶が戻る人も増えてくると思うので、この記事が誰かにとってのヒントになればと思います。
レムリアンの語る「加害者としてのアトランティス」への違和感
まず初めに私が自分の過去生を思い出すきっかけになったのは、たまたま見た「レムリア時代の記憶を語る人たちのブログや動画」でした。
その内容は「争いを好まない精神主義的なレムリア人が、支配的で物質主義的なアトランティス人に滅ぼされた」というものでした。
もちろん、たとえば日本人であっても一括りにできないくらい多様な人々がいるわけなので、「レムリア人だから」「アトランティス人だから」という纏め方をしても意味がなく、皆が皆同じ意見と視点を持っているわけではありません。
しかしその「私たち元レムリア人は可哀想な被害者、悲劇のヒロインなんです」という美化された語り口を見たとき、瞬間的に感じたのは、「それは違う」と訂正したくなる衝動でした。
アトランティス人を暴力的な加害者、悪者のように語るものを見て、理由もなく激しい苛立ちを感じたんです。
もちろん、事実としてレムリアからアトランティスへ文明の交代が発生しているわけですから、争いや対立はありました。
しかし近代の戦争もそうであるように、お互いがお互いなりの言い分があります。
少なくとも「可哀想なレムリア、悪いアトランティス」と単純な構図に嵌められるものではなかったわけです。
しかし当時はそこまで理解していませんから、「なぜか苛立つ」というくらいでした。
アカシックレコードから見えた火山の噴火
そんな苛立ちも、たまたまネットで見た情報に、一時的に感情が揺さぶられたにすぎません。
その後、その感覚はまたしばらく忘れていました。
次に思い出したのはアカシックレコード・リーディングを初めて行ったときです。
アカシックレコードを読む際、私の場合は「書籍」を扱うイメージを使うのですが、初めてのリーディングで手に取った私の本は分厚く、古びていて、表紙には大きな火山が描かれていました。
表紙は、魂の歴史における象徴的なテーマ。
正直、もっと上品な魔法の本みたいな表紙かと思っていたので、妙にゴツく圧がある外観にがっかりしたことを覚えています。
そこから自分の過去生を見に行ったのですが……
そこで見た記憶は、激しく噴火する火山、逃げる人々。
人を逃がしながら、火を噴く山を睨み続ける自分。
それが私の「アトランティスの終末期」の記憶です。
火山の噴火が自分の魂の歴史本の表紙に載るくらいですから、この出来事が今でも自分の人生に深い影響を与えていることがわかりました。
ただ、その後は火山の噴火とアトランティスの関係を調べるも、明確な記述も懐古も見つけられず。
多く語られるのは「海に沈んだ」という記憶であり、火山との関連性は「海に島ごと沈むレベルだから、火山が噴火していてもおかしくない」くらいの推察にとどまりました。
見えたのはアトランティスの記憶に違いないけど、火山・噴火というキーワードで語る人も見当たらない。
もしかしたら、私のこれは勘違いか、あるいは記憶違いなのではないか。
まあ深く追求しなくても別に困ることもないしな、と、またしばらく忘れていました。
サントリーニ島の群発地震から、記憶の深掘りへ
その半年後、いつも通り仕事をしていたら、ふとした瞬間に頭に「アトランティス」というキーワードがよぎりました。
その時はなんとなく落ち着かない、まるで軸が揺るがされるような妙なエネルギーの乱れを感じていたときです。
ああアトランティスか、そんなのもあったな、と思いながら何となくSNSを見ると、サントリーニ島での群発地震のニュースが。
その場所は観光地としても有名ですが、アトランティスの一部が沈んでいる場所としてよく語られるエリアです。
そのニュースを見た瞬間、「噴火する火山を睨む自分」の感情が一気に呼び起こされました。
許せない。悔しい。どうしてこんなことに。絶対に忘れない。そうした怒りの感情が、頭の中を嵐のように暴れ回る。
それはアトランティスの滅びの引き鉄となった、堕落を引き起こした神官たちへの怒りでした。
アトランティスの文明には、物質主義だけでなく精神主義だけでもない、両者が非常に高いレベルで調和した「黄金時代」と呼ばれる時代がありました。
それほどの時代まで至ったのに滅ぶ羽目になったのは、本来は人々の奉仕に終始するはずの神官の一部がエゴに傾いたからです。魔が差したのでしょう。
彼ら神官を信用し慕っていたのに裏切られたという怒り
近くにいたのに止められなかった自分の力不足への怒り
そしてその結末を目に焼き付け、滅びの教訓を忘れないという覚悟
それが「噴火を睨みながら立ち尽くす過去生の自分」の感情でした。
今にして思えばアトランティスの終末期の強烈な怒りをずっと引き摺っていたのでしょう。
昔から、考えが甘い人、物事に適当な人、道義に反する人に対して、過剰なほど苛立ちを覚えることが多くありました。
私はそれは成長過程で生まれた意識の歪みだと思っていたし、そもそも「真面目で堅くて正義感が強く、頑固」という、そういう性格なのだろうと当たり前に受け入れていました。
実際、さまざまなメンタルワークや浄化、統合を重ねるごとに制限は外れていき、起業も成功し、不自由のない人生を送ることができるようになりました。
しかし魂の根深いところでは、まだ終わっていなかった。
サントリーニ島が揺れるタイミングで強烈に思い出すということは「その記憶がまだ癒されていなかった」ということでした。
アトランティスの記憶の清算
アトランティスの終末期を癒し、黄金時代のエネルギーを取り戻すという瞑想を行いました。
当時の怒りの裏にあったのは、信頼と尊敬と愛情。
黄金時代、神官たちに仕えて働いていたとき、いかに彼らを信頼し、尊敬し、愛していたかということを思い出しました。
これは終末期にはすっかり忘れていた感情です。
終末期の、すべてが無惨な状況だったあの瞬間、あれほどやり場のない怒りを持っていたのは、それだけ「良かった時代」とのギャップが大きすぎたのでしょう。
そして「アトランティスは加害者」というニュアンスで語られるレムリアの記憶に対して反発したくなるのも、アトランティスの文明やそこに住む人々のことを愛していたからでした。
しかしどんな悲惨な出来事であれ、たとえ過去生の出来事であれ、当時の自分が、当時の自分の周波数に基づいて必要な体験をしただけにすぎません。
ちょっと……いやだいぶ不謹慎ですが「アトランティス滅亡ツアー〜怒りの噴火編〜」みたいなものを経験したからこそ、その後、何度転生しても繰り返すほどの激しい怒りや悲しみの分離意識を学ぶことができたわけです。
しかしこの後に及んでは、黄金時代を美化して憧憬を抱くことも、終末期の怒りを引き摺り続けることも、アセンションを阻害します。
だからこそ、アトランティスの終末期の記憶を浄化し、すべて手放すことにしました。
今はあの頃の記憶が、強烈に噴き出すようなことはありません。きっとこの先ももうないでしょう。
意図的にその記憶にアクセスしようとしても以前のような激しい情景は朧げで、代わりに見えるのは火山は鎮まり返り、穏やかな表情で海を眺める当時の自分の姿です。
過去を思い出せば、自分が何をしたいのかが見えてくる
私は今はビジネスとスピリチュアルの双方を教えていますが、物質と精神の調和、悟りと繁栄の両立をずっと大切にしてきました。
お金は欲しいだけ受け取って、どんどん豊かになってほしい。しかしでそれだけではなく意識、思考、在り方を大切に。
感覚を磨くだけではなく、地に足をつけた現実レベルでの行動を忘れずに。
そんな、ある意味ではどっちつかずで相反する、分かりにくいことを、「でも両方大切だから」という信念で発信してきました。
それも今思えば、アトランティスの黄金時代を経験し、そしてエゴに傾いて滅んだことを経験していたからこその、一貫した信念である、という側面もあるのかもしれません。
私がまさか、こういう見る人から見ればファンタジーとしか思えないような記事を書くことになるとは思いませんでしたが、誰かの役に立てば幸いです。