こんにちは、大場麻以です。
「コーチングは怪しい」
「コーチングって宗教みたい」
「コーチングは胡散臭い」
コーチングにそうした感想を抱く人は非常に多いです。
私も他のコーチの話を聞いて、異様に感じた経験は一度や二度ではありません。
今回は同業者目線で「なぜコーチングは怪しいのか」その本質的理由を紹介します。
よくある怪しいコーチ・コーチング6種のタイプ分け

よくある怪しいコーチやコーチングの特徴を説明します。
以下のような雰囲気のコーチに出会ったら要注意です。
ただ怪しいだけでなく、深く関与していくことであなたの人生の歯車がズレていく可能性があるものです。
もし出会ったら落ち着いて距離を取って様子を見ましょう。
タイプ① 相手に世界観を押し付ける「押し付け型」
コーチによっては独特の世界観・価値観を持っています。
それは誰もが理解できるようなロジカルな話ではなく、哲学的で概念的な世界観です。
それだけなら普通なのですが、面と向かって理解を強要し始めたら注意が必要です。
「求めていないのに何かを施そうとする、与えようとする」というのが大きな特徴ですね。
コーチというのは仮初の姿で、実はネットワークビジネス(マルチ・ねずみ講)だった、カルト宗教だった、コミュニティへの勧誘要員だった……というケースは少なくありません。
コーチ自身はイキイキとしてそれらを語るのですが、求めてないのにそれを聞かされる側は、たまったものではありません。
コーチに限らず、世の中のプロフェッショナルは、相手のニーズに応えることが仕事です。
しかし怪しいコーチは、相手のニーズを無視して自分の世界観をありきで活動し、隙あらばそれを直接押し付けようとしがちです。
タイプ② SNSをバズらせることに精を出す「承認欲求型」
SNSに非常に熱を注いでいるコーチもいます。
SNSは集客ツールとして利用されますが、単にフォロワーを増やす、投稿で多くの反応を獲得することを目的にしているコーチもいます。
実はコーチが集客においてSNSを利用するとき、多くの人から反響を得る努力をすればするほど、ビジネスが成り立たなくなります。
なぜなら、コーチのビジネスとは、少額を大衆に提供ものではなく、高額を少数に提供するものだからです。
万人受けに寄れば寄るほど、高額の顧客はつきにくくなります。
ではSNSでフォロワー獲得を頑張ってるコーチは何をしているかといえば、少額を大衆に売ろうとしているか、承認欲求を満たすために頑張っているかのどちらかです。
(フォロワーを増やすことが集客に繋がると勘違いしてしまっている方もいます)
眺めているぶんには良いのですが、よく見極めなければ相手の承認欲求を満たすためのパーツ、インプレッション稼ぎトリガーの頭数にされてしまうこともあるので、注意が必要です。
タイプ③ コーチングを執拗に勧める「宗教勧誘型」
コーチングを人に勧めるとき、以下のような文言を使う人がとても多いです。
「とにかく良いらしい」ということは伝わりますが、具体的に何がどう良いのかわかりませんよね。
曖昧なまま「とりあえず受けてみて」と言われても、なんだか胡散臭く感じます。
そしてこのニュアンスに覚えがあるかたもいるかもしれませんが、ネットワークビジネス(MLM)の勧誘・セールスにおいてもよくある手法です。
MLMというビジネスモデル自体を否定するつもりはありません。
しかし傾向としてどうしても、依存的で精神的な自立が難しい方々、それでいて欲望が渦巻く方々が集まりがちです。
曖昧で抽象的な話・手放しの絶賛・「とりあえず受けて」という勧誘の3点が揃うなら、避けたほうが無難でしょう。
タイプ④ コーチングを過大評価している「盲目型」
怪しいコーチは、まるでコーチングが万能薬であるかのように啓蒙しがちですが、変われるかどうかも、結果が出るかどうかもクライアント本人次第です。
オリンピックコーチに指導してもらえれば、10人中10人オリンピックに出れるのか?当然NOですよね。
これはどれほど有名で、どれほど高額なコーチ相手でも、もちろん私相手でも同じことが言えます。
コーチができることは大まかに言えば「メンタルが健康で、知識・技術がそれなりにある人」の「動機付けと行動促進」です。
「過去〜現在に課題がある」クライアントであれば「生きやすくなる」「前向きになる」という効果が必要ですが、悩みが重ければ重いほど、コーチングではなくカウンセリングが妥当になります。
コーチングのような相手に主体性を求めるアプローチは、重い悩みを抱えるクライアントにとって負担だからですね。
「高い目標を達成したい」クライアントであれば、達成のために不足している知識や技術を補う必要があるので、コーチングではなくティーチングが必要です。
コーチングのような質問主体のアプローチでは、非効率な選択と行動を促すリスクがあり、クライアントを迷走させるだけだからです。
このように『対人支援』という括りで見ても、コーチングがまともに機能するケースはごく僅かであることがわかります。
コーチングは万能ではありません。セッションを依頼するなら、少なくともそれを弁えているコーチにしたほうが良いですね。
タイプ⑤ コーチ同士の仲間意識だけは強い「仲良しサークル型」
多くのコーチはコーチングスクールを卒業して世の中に排出されているので、コーチングスクールの仲間・同期がいることが多いです。
しかし卒業してからいつまでたっても、クライアントに価値を提供するのではなく、仲間内で楽しく過ごしている様子はよく見受けられます。
それが悪いというわけではないのですが、「やっぱりコーチングって素晴らしいよね!」というやりとりをSNS上などでしているので、蚊帳の外である一般人から見ると、怪しい何かにハマっている集団に見えてしまっても仕方ありません。
コーチングが、まるで内輪でしか盛り上がれないネタのように見えてしまうケースは多々あるかと思います。
コーチとして経済的に自立し、プロとして活動している方は地に足がついてますので、「コーチングで食べている人かどうか」というのは、プロとして信頼できるかどうかのひとつの目安になります。
タイプ⑥ なんでもかんでも肯定・共感する「無責任型」
対人支援において肯定(受容)・共感はよくあるアプローチですが、専門性を持たないコーチだと、なんでもかんでも肯定・共感することがあります。
こうした言葉かけは、相手の状況によってはもちろん重要ですが、この対応に終始するようだと問題が起こりやすいです。
なぜなら、これらの言葉はメンタルケアが必要な相手には大切ですが、そうでない相手に対しては、単なる思考停止・行動停止の推奨、間違いから目を向けることへの肯定でしかないからです。
メンタルが健康で、新たな変化を遂げたい相手は、今の自分から脱皮し、目の前の現実を変えたいわけです。
人が生きているだけで素晴らしいのはもちろんですが、慰めの程度の「今のままで素晴らしい」というのは、「その程度の人生でいいじゃん」という妥協の言葉に聞こえてしまうかもしれません。
そういう人に必要なのは肯定ではなく、「もっとこうしたらいいんじゃないか」という具体的なアドバイスです。
共感や慰めに終始するコーチに救いを感じるとしたら、それはあなたが弱っている証拠であり、逆に怪しく感じるのであれば、あなたが少なくとも精神的に健康で、変容と前進を求めていると言えるでしょう。
コーチングが怪しいわけではない

実はコーチングそのものは決して怪しいものではありません。
コーチングの発祥はヨーロッパの町名に由来しますが、その後コーチという仕事はスポーツや学習指導に発展していきました。
あなたはオリンピック選手のコーチを怪しいと思いますか?
学習指導塾の先生を怪しいと思いますか?
きっとそうは思いませんよね。立派な職業であると感じるはずです。
そもそも本来的なコーチというのは怪しいものではなく、他者を特定のゴールへ導く役目を負う仕事として成り立っていました。
オリンピック選手のコーチであれば、オリンピック優勝へ。
学習指導塾の先生であれば、受験合格へ。
それが本来のコーチングの原型なのです。
つまり、決してコーチングは怪しいものではありません。
怪しいかどうかは、コーチングを実施するコーチによって決まるということです。
実施する人次第で中身の質が大きく変わってしまうのは、コーチングが無形商品だからですね。
ちなみにスピリチュアルコーチやカウンセラーに関して気をつけたほうがいいものに関してはこちらの記事を確認してください。
お金のブロックや潜在意識についてはこちら。
しかし人生を変える活路は意外な場所に……

じゃあ「怪しいもの=悪」なのかというと、実は必ずしもそうではありません。
しかしもしあなたがビジネスや人生において行き詰まっていることがあるとしたら、その打開策というのは99%、あなたがこれまで選んでこなかった場所にあります。
つまり、あなたの常識でGOサインを出せるところ以外に、あなたの人生を変え得るものが眠っている可能性があるということです。
怪しい、おかしい、間違っている、周りが見てどう思うか……そうした感情から否定し、「そんな道は行くまい」とあえて避けてきた場所。
そこは、あなたにとって、地獄である可能性もあるし、楽園への近道である可能性もある。
その見極めは、一筋縄ではいかないのが正直なところです。
多くの人は、地獄の片隅に爪先を入れて、痛い目を見て学習し、自分の楽園への道を模索しています。
なので、怪しい、おかしい、それは違うと否定ばかりせず、致命傷にならない程度に味見してみてはいかがでしょうか。
一瞬で撤退できるよう退路だけは残しておけば、ミスや失敗もかすり傷で済みます。
(私自身は直観で見極めてきたので、そうした直観を日常的に鍛えるのもひとつの選択肢です)
いずれにせよ、本当の悪性に触れて、消去法的に初めて本当の善性を知ることができるものです。
いま、ネットには多くの情報が転がっており、見ただけではその真贋を見抜くことが難しくなっています。
失敗を恐れず、退路を確保して冒険をしてみてください。
今まで見えてこなかった世界が見えてくると思いますよ。
冒険して見たその景色が理想通りであれ、期待外れであれ、その体験が必ずあなたの人生の糧になるはずです。


















